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1918. 9. 14 (生)
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·平安北道 定州郡 大田面 雲田洞 603番地で、精米業を営んでいた父·承基孝、母·金 孝順の間に、4人兄弟の長男として生まれる。
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1923.(6才) |
·漢学修学
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1927.(10才) |
·平安北道 定州郡の雲田小学校に入学。
·小学校時代から絵を描くことが好きで、先生や周囲から才能を認められる。
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1933.(16才) |
·平安北道 定州郡 雲田小学校卒業(6年制)
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1933. 4. 1 (16才) |
·平安北道 定州郡 五山高等普通学校に入学。
·入学後、美術部に入って美術に力を注ぐ一方、運動(柔道、ボクシング、スケート)
においても学校の代表として活躍するほど多彩な才能を持っていた。特に韓国の 西洋画の先駆者として、アメリカの名門大学のエール大学美術学科を首席で卒業し
た五山高等普通学校美術教師の任波(イム パ)·任用璉(イム ヨン リョン)から、先 輩の李仲燮(イ ジュン ソブ)、後輩の金昌福(キム チャン ボク)と共に美術指導を 受け、画家としての夢を育てていく。
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1936. 10 (19才) |
·五山高等普通学校4年生在学中、当時、朝鮮日報が主催した『全朝鮮学生美術展覧会』(第1回)で<花束のある静物>を出品、特選賞受賞。
·1938年の第2回の特選は、張旭鎮(ジャンウクジン)画伯の<お手玉>(1938、図板6)である。
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1938. 3.20 (21才) |
·平安北道 五山高等普通学校 第27回卒業(5年制)。
·師匠の任用璉(イムヨンリョン)に才能を認められ、日本への留学をすすめられる。本格的な 画家の道を進むために日本へ留学。
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1938. 4. 1 (21才) |
·日本の東京日本美術学校 西洋画科に入学。
·当時、この学校は帝国美術学校に比べて、アカデミックな画風が主流であった。
·在学当時、この学校の留学生たちの集いである「在東京美術学校の会」に参加して美術学 徒として活動に専念した。また、林武(元東京芸術大教授)と高野真実から影響を受け、大きく 成長する。
·40年、41年、42年、東京の『独立美術展覧会』に静物画出品、入選。
·40年、41年、ソウルの『朝鮮美術展覧会』に静物画と古城出品、入選。
·東京在住の韓国人の美術大学生で構成された「白友会」にも参加、活発なグループ 展示会を行う。当時先輩には郭仁植(クァク イン シク·在日作家)、李仲燮(イ ジュン ショ ブ·五山高等普通学校の先輩)画伯、後輩には、美術学校の1年後輩の任圭三(イム ギュ サム·在美作家)、任直淳(イム ジク スン·国展推薦作家)、金 昌福(キム チャン ボク·在 スウェーデン作家)、権永述(クォン ヨン スル)画伯などがいる。
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1938.(21才) |
·故郷の定州(平安北道)で吉鳳玉(ギル ボン オク)と結婚。
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1940. 3.10 (23才) |
·日本美術学校3年生に在学中、東京の『独立美術展覧会』へ静物画出品、入選。 (日本独立美術協会)
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1940. 5. 5 (23才) |
·日本美術学校3年生に在学中、ソウルの第19回『朝鮮美術展覧会』へ静物画出品、 入選。(朝鮮総督府)
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1941. 3. 10(24才) |
·日本美術学校4年生に在学中、東京の『独立美術展覧会』へ静物画出品、入選。 (日本独立美術協会)
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1941. 5. 5 (24才) |
·日本美術学校4年生に在学中、ソウルの第20回『朝鮮美術展覧会』へ<馬のいる古 城>出品、入選。(朝鮮総督府)
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1941.12.29 (24才) |
·日本の東京の日本美術学校の本科西洋画科卒業(4年制)。
·日本の文部省の師範学校と中学校の<美術教員免許証>取得。
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1942. 3.10 (25才) |
·日本の東京の『独立美術展覧会』へ静物出品、入選。(日本独立美術協会)
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1942~1943(25~26才) |
·平安北道 定州郡 大田面 九竜学院、美術教師。
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1944~1946(27~29才) |
·平安北道 新義州 公立高等女学校、美術教師。
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1945. 8.15 (28才) |
·平安北道 新義州 公立高等女学校、在職中、終戦を迎える。
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1946~1950(29~33才) |
·平安北道 五山高等普通学校美術教師。(師匠である任波(イム パ)·任用璉(イムヨンリョン)の後任) -平安北道五山高級中学校と校名を変更。
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1951. 1. 4 (34歳) |
·韓国動乱(朝鮮戦争)の際、人民軍(北の軍)が38度線を越え南下。何ヵ月か後には家 族と再会できるであろうと考え、離れのつらさをこらえ、一人で南下する。平安 南道の鎮南浦波止場で韓国軍将校(五山学校の教え子)の助けで、五山学校の同僚教 師である李曦均(イヒギュン)と共に船で仁川へ、全羅北道で避難生活。
·当時、定州には両親、弟、妻、そして2男1女の子がいた。
·その後、全羅北道の井邑で夫と共に避難してきた妹の承杓実(スンピョシル)と再 会、全羅北道で中·高校の教師生活を始める。
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1951. 5.10~11.24(34歳) |
·南原農業学校教師。
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1951.11.25~1958. 3. 9(3441歳) |
·井邑中学校教師(学生指導部長)-美術部開設
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1953. 6. 3 (36歳) |
·師範学校及び高等学校正教師資格証(1495号-文教部長官)取得。
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1955. 4.17 (38歳) |
·高等学校校監資格証(証第㉲186号-文教部長官)取得。
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1957.(40歳) |
·全羅北道の井邑で公州師範大学を卒業し、当時小学校の教師であった曺公順(ゾゴンスン)と再婚。
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1958. (41歳) |
·長男の秀官(ス グァン)生まれる。
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1958. 3.10~1961. 8.24(41·44歳) |
·井邑農高兼井邑中学校教師(学生指導部長)。
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1960.(43歳) |
·次男の秀根(ス グン)生まれる。
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1961. 8.25~1962. 3. 30(44·45歳) |
·群山女子中学校教師。
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1962. 3.31~1964.10. 1(45·47歳) |
·裡里東中学校教師。
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1965. 4.15~1968. 4.30(48·51歳) |
·井邑中学校教師。
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1966.(49歳) |
· 三男の秀鍾(ス ジョン)生まれる。
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1968. 5. 1~1970. 2.28(51·53歳) |
·茁浦中学校教頭。
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1970. 3. 1~1973.11. 4 (53·56歳) |
·井邑女子高等学校教頭。
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1971.12.29 (54歳) |
·中·高等学校校長資格証(第(本)2539号 - 文教部長官)取得。
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1973.11. 5~1978. 3. 2(56·61歳) |
·竜潭中学校校長。
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1974. 12 .5(57歳) |
·教育発展に寄与した功績を評価され、国民勳章「木蓮状」受賞。(勳章証第730号)
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1978. 3. 1~1982. 2. 28 (61!65歳) |
·高山中学校校長。
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1982.(65歳) |
·高山中学校校長退職。
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1982~1996(65·79歳) |
·停年退職後、後進の養成と作品活動に専念。
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1989.(72歳) |
·東京日本美術学校の友人達の招請で日本を旅行、母校訪問。
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1990. 8. 13(73歳) |
·妻の曺公順(ゾ ゴン スン、アポロニア)が死ぬ。
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1996. 3 (79歳) |
·カトリックに入教(ヨセフ)。
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1996. 4. 5 (79歳) |
·故郷の定州(平安北道)を思いながら持病で生涯を終える。(葬地 : 孝子公園墓地)
·遺作として西洋画の完成作91点と未完成作1点を残す。
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1997. 5. 14 |
·『五山美術90年展』遺作<静物>出品(徳源美術館)
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1998. 12. 1 |
·国立現代美術館企画『徳寿宮美術館開館記念 - もう一度見る近代美術展』に遺作<自画像>(キャンバスに油彩、1954年作)、<静物-花>(キャンバスに油彩、1955年作)、<女人肖像>(キャンバスに油彩、1959年作)など、3点を出品。(徳寿宮石造殿)
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1999. 11. 1 |
·『五山学校開校100周年記念五山美術同門展』に、遺作<静物-花>出品。(五山学校100周年記念館)
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2002.11.16~11.28 |
·「2002年韓国ソリ(音)文化の殿堂」の企画展示 -雲峰·承東杓遺作招待展-·油彩91点と線画34点を出品。(韓国ソリ(音)文化の殿堂 美術館)
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2005. 6. 3~ 7.24 |
·[全北美術の脈 -近·現代の遺作回顧展]に、<二人の息子>(1963年作)、遺作<静物-茶瓶と果物箱>(1964年作)、<暇な午後>(1986年作)、<格浦 -海の風景>(1989年作)など、4点を出品。(全北道立美術舘)
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2005. 7. 1~ 8.31 |
·[全羅北道の新庁舎の開庁記念-全北の書画伝統の一覧展]に、遺作<山から見た学校>
(1964年作)、<静物-果物Ⅱ>(1965年作)など、2点を出品。(全羅北道の新庁舎の企画展示室)
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2006. 4. 5~ 8. 6 |
·[2006年国立現代美術館の企画展示-忘れられた作家の発掘企画展 雲峰·承東杓の10周期回顧展-]に、遺作<油彩92点>と<線画60点>を出品。(国立現代美術館)
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2006. 11.10 ~2007. 1. 14 |
·[2006年全北道立美術館の企画展示-雲峰·承東杓の寄託作品展-]に、遺作<油彩78点>を出品(全北道立美術館)。
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2007. 2. 23 ~ 2007. 4. 1 |
国立現代美術館-新所蔵品展2006(New ACQUISITIONS 2006展)に作品3点を出品(国立現代美術館)
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2007. 5. 9 ~ 2007. 5. 15 |
五山高等学校創立100周年記念(五山美術100年展)に作品3点を出品(世宗文化會館)
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2008. 4. 21 ~ 5. 9 |
2008年全北道立美術館の企画展示-雲峰․承東杓の寄託作品展-に、遺作<油彩75点>を出品。(全羅北道庁舎の企画展示室)
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2010. 2. 26 ~ 3. 10 |
2010年韓国ソリ文化殿堂の企画招待展-2010年現代美術100人の形形色色展-(全北芸術会館の展示室)
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2013. 5. 22 ~ 2013. 6. 29 |
[畵家 承東杓展 特别展示会] – 遗作75幅及遺品 等 -(全北大学 博
物馆 企划展示室
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2014. 3. 25 ~ 2014. 6. 1 |
在井邑市立博物馆特别企划展「韩国的塞尚(Cezanne)承東杓,怀
抱井邑」展示了48件遗作(井邑市立博物馆企划展示室)
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2018. 9. 28 ~ 2018. 10. 31. |
在全北大学博物馆特别企划展「画伯承東杓先生诞辰100周年特别
纪念展」展示了30余件遗作(全北大学博物馆企划展示室)
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